未来対話より
仏法の祈りは、「誓い」です。(おまじないではない)
決意を固めるから、本気で努力できる。
題目の人は、最後は自分の思い描いた以上の大勝利の青春、そして人生を歩めるのです。
あとで振り返って、あの時にあの出来事があったから、今の自分があると、必ず言えるようになる。
釈尊は「苦行」と同時に、その対極にある「怠惰」も否定しています。
つまり、おまじないだけで現実的な努力もせず、法外な利益を手に入れようとする外道の法は、全て仏法ではないのです。
口でいくら題目を唱えていても、現実的な努力を怠っていれば、それは事実上外道のまじないに過ぎず、かえって功徳を消してしまいます。
戸田先生は「学会活動を口実に仕事や読書を怠ることは謗法である」と断じています。
したがって、どんなに強く祈ろうとも、宝くじの当選確率が上がることはありません苦笑
一獲千金や不労所得を求める心そのものが謗法となるからです。
1億円が欲しいのなら、「私は自力で1億円稼げる」と信じ、本業に3人前打ち込むことが、法華経の正しい実践なのです。
皮肉なことに、あなたに諸天を頼る気持ちがあるうちは、諸天は動いてくれません。
「祈っていれば諸天が何とかしてくれる」は謗法です。
法華経の祈りは、おまじないではなく、あくまで誓願です。
「たとえ私1人でも広宣流布するのだ!」という鋼の誓願があって初めて、梵天帝釈が動きます。
それが宇宙の法則なのです。