池田大作全集102 335頁より
私は、科学の進歩と共に興隆し、ますます光彩を放つ高次元の宗教と、反対に科学に見放され、色褪せていく過去の宗教とは、もはや峻別、淘汰されていくのが流れとみております。
仏法では、一切が有でも無でもない「空」であると考えます。
宇宙には、「存在しなければならない理由」も「存在してはならない理由」もありません。
つまり確率的には、常に「存在率50%」となります。
すなわち「有の宇宙」と「無の宇宙」は、常に一体不可分で対となって存在します。
しかし人間に無の宇宙は観測できないため、結果的に有の宇宙しか存在しないように錯覚しているだけです。
科学や数学が発達することで、ようやく仏法を論理的に説明できるようになってきました。
これからの時代に広宣流布していくには、科学や数学の知識はますます重要になってきます。
特に最高幹部ともなれば、各分野のリーダーと対等以上に対話できなければ、まさに話になりません。
もちろん仏法は庶民のためにありますが、それは断じて無学でかまわないという意味ではありません。それこそ庶民を見下す考え方です。
青年ならば学歴を問わず、博士号レベルの知性教養を目的として勉強していくべきでしょう。
「広布のために知性を磨く」人生を全うするならば、未来世においても、あなたが最高の知性をもって生まれてくることは間違いありません。