法華経の智慧より
大事なのは、男性はこうすべきだとか、女性はこうすべきだとか、あらかじめ決めつけることではなく、第一にも第二にも「人間として」「人間らしく」生きていく努力ではないだろうか。
永遠の生命から見れば、男といい女といっても、ある人生では男性となり、ある時は女性と生まれ、固定的なものではありません。
1人の人間の中に「男性的なるもの」と「女性的なるもの」が調和していなければならない。
いわゆる「男らしい」だけでは粗暴になってしまう。
女性の場合も、いわゆる「女らしい」だけでは十分とは言えないでしょう。
当然ながら、男と女は違う生き物ではなく、同じ人間です。
相違点より共通点のほうがはるかに多いはずです。
中にはLGBTの人もいます。
「ベルサイユのばら」のオスカルなどは、性差を超越した理想的な人間像を表現しています。
性差を必要以上に強調するのではなく、人それぞれの個性を認めていくのが仏法なのです。