法華経の智慧より
誰が説こうと、その教えが優れていればよいのです。
釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏なのです。
それがだれであれ、法華経を説いた人が仏なのです。
「釈尊が説いたから偉大なのだ」というのでは、一種の権威主義であり、肩書主義でしょう。
仏法は「人法一筒」であり、法を説く人は、法そのものと等しく尊い存在とされます。
したがって、南無妙法蓮華経を唱え広める人は、誰もが日蓮大聖人と同じく、末法の仏です。
題目を唱えることは、人間にとっては容易に思えるかもしれませんが、動物には絶対にまねできません。
実は、あなたは南無妙法蓮華経を唱えるために、人間に生まれてきたのです。
最初からそれが目的なので、容易に感じられるだけです。
本当は、この題目を唱えることは、とてつもなく難しいことです。まして、仏法を一分でも理解できるのは、一閻浮提広しといえど、間違いなく人間だけでしょう。
それほど尊い存在のあなたが、仏でないはずもないのです。
末法の世に生まれ、法華経を広めるあなたは、南無妙法蓮華経如来そのものです。
間違いなく大聖人の再誕であり、分身なのです。
我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり
日寛上人 当体義抄文段