「開目抄」講義より
今を決定づけたのは過去世の因ですが、同時に、未来を決定づけるのは今この瞬間です。
過去の業因が未来をも規定するものではありません。
大聖人が宿業を説くのは、あくまでも宿業は必ず転換できることを示すためです。
通常の罪障消滅観は(中略)過去の悪業の果報を現世でひとつひとつ受けて消していくという受動的な因果の考え方です。
これを大聖人は「常の因果」と表現されました。
大聖人の仏法における宿命転換は、この「常の因果」によるのではありません。
不信・謗法を打ち破る修行を因とし、妙法の太陽が胸中に現れて仏界が湧現することを果とする因果、つまり「成仏の因果」なのです。
法華経に帰依した瞬間、常の因果による過去世の宿業は消滅しています。
日の出によって、くず星の光が一瞬で消え失せるようなものです。
南無妙法蓮華経を信じ唱えるあなたにとって、過去の罪業などもはや何の関係もない話です。
ただしこれは、一念に狂いがあると、再び過去世の宿業が現れることを意味しています。
遠山清彦元議員も、若いころには真剣に信心に励み、政治活動に打ち込んでいたでしょう。
しかし近年は、日本会議の会合に出席するなど、信心より票集めを優先しているとしか思えないような行動が見られました。
この厳しい現証は、やはり、彼自身の一念の狂いから生じたと見るほかないでしょう。
一生成仏には、生涯信心を貫く以外の道は存在しないのです。
法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり
御書1373頁