法華経の智慧より
一切衆生に「仏性」がある。
宗教の中には「平等」を説いたとしても、人類は「罪の子として平等」であると説くものもある。
しかし法華経は皆、尊き「仏子」と説く。
そこには、大きな違いがある。
自分の仏界を意識していない「異教徒」であっても、仏界の当体である事実は変わりません。
ゆえに法華経の精神からは、暴力は絶対に出てきません。
この思想こそ、法華経哲学の極理です。
具体的には、仏性とは「命そのもの」であると考えていいでしょう。
命が無いということは、それだけで何も無いのと同じです。
命こそ、誰にとっても宇宙第一の宝です。
そして釈尊も虫けらも、誰もが等しく、ひとつずつ命を持っています。
どんなに偉い人でも、命を2つも3つも持っていることはありません笑
その意味において、仏も凡夫も畜生も、完全に平等です。
仏法では、自分の肉親が畜生に転生することもあると説きます。
したがって、虫けら一匹でも、意味なく殺してはいけません。
生きるため・食べるための殺生はやむをえませんが、殺すことを楽しむのは当然悪です。
動物愛護・自然保護の精神も、法華経によって初めて裏付けが可能なのです。