法華経の智慧より
私たちは凡夫です。しかし、願って凡夫の悩みの姿を表しているのです。
「願兼於業」です。妙法(真実)の力を証明するための宿業(方便)です。
だから絶対に、悩みを乗り越えられないわけがない。
皆、この娑婆世界という舞台に登場し、広宣流布というドラマを演じる主演俳優なのです。
妙法のすばらしさは、入信した後の体験がすべて秘妙方便として輝くだけでなく、入信する前の体験までもが、すべて生きてくるのです。
初めから難の悩みもない恵まれた姿で人々の前に現れたのでは、だれも妙法の偉大さがわからない。
そういう人には、民衆の心も分からないでしょう。
どんな宿業の苦しみも、それを克服して勝利の実証を示すために「あえて自分が選んだ苦しみ」なのです。
勝つために自分があえてつくった苦悩なのだから、勝てないわけがない。
一番苦しんでいる人の中に仏はいるのです。
入信する前か後かに関係なく、一切の宿業は、衆生を法華経に導くための方便です。
どのような難でも、必ず幸福の因になります。
牧口先生は、獄中生活について「思索に集中できるのでかえって良い」というお手紙をご家族に送っています。
取り調べにおいても堂々と仏法を語り、カントなどを精読しながら、悠々と人生の最晩年を締めくくられたのです。
戸田先生も、獄中で徹して法華経を読み切り、「仏とは生命である」という悟達を得ました。
これが獄の外だったら、多忙のため、そこまで時間をかけて法華経を読む機会は得られなかったでしょう。
だからこそ戸田先生は、自らを獄に導いた先師に感謝されていたのです。
お題目を唱えることで、すべての経験が無駄なく活かされるのです。