池田大作全集74 168頁より
勤行や広布の活動で、時には「ああ、いやだな」と思うかもしれない。
諸天の方でも「ああ、いやだな」と思う(笑い)これでは諸天善神の本当の力は出ない。
何事も、「また福運を積んでいこう」と喜んで行えば、諸天も歓喜し、勇んで動き出す。
どうせ行動するなら、そのほうが得である。
「時間のムダではないか」と思う一念で仏道修行すれば、その不信や愚痴の心が功徳を消してしまう。
その結果、当然、功徳が自覚できず、「やっぱりムダなんだ」と、変な確信を強めたりする(爆笑)悪循環である。
「どうせ無理ですよね」と祈っていれば、その通りの結果が出ます笑
ただ、祈りというものは全てが直ちに叶うものではないので、時間がかかる場合もあります。
ひと晩で巨木は育ちません。
また、叶うとかえって不幸になってしまう場合も、叶いません。
つまり、疑うことなく御本尊を信じ切ればいいのですが、凡夫にはそれがなかなか難しいものです。
一生涯を通じてみなければ、真の功徳は分かりません。
幹部として華々しく活動していた人が、悲惨な晩年を迎える場合もあります。
だからこそ、師匠や先輩の語る体験が不可欠なのです。