賢人までも人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん、なかなか色みへでありせば・よかりなん
上野殿御返事(御書1539頁)
(賢人でさえもはかりごとは恐ろしいもので、あなたは必ず法華経を捨てられるでしょう。それならばかえって初めから信心を隠すほうがいいでしょう)
上野殿(南条時光)といったら、御在世当時の在家青年門下の中心者であり、今でいえば青年部長のような立場にありました。
それほどの「最高幹部」でさえ、信心を公にできないほど、当時の弾圧は激烈だったのです。
また、弾圧は出家が代表して一身に受け、在家の檀那には指一本触れさせまいという、蓮祖のお心がこもっている指導です。
今の坊主とは、完全に逆ですね笑
当時とは世相も異なりますが、一概に学会宣言させれば良いというものではありません。
その結果、メンバーがいじめや差別を受ける可能性もあります。あえて入会を避け、内徳信仰を選ぶべきケースもあります。
仮に中途半端な信心であっても、完全に捨ててしまうよりはマシです。
途切れることのない「水の信心」こそ成仏の道です。
リーダーに必要なのは、メンバーが生涯信心を貫いていくための配慮なのです。