昭和28年12月21日 豊島公会堂での戸田先生スピーチより
やみの米を運ぶことがよいか悪いかと訊かれる。
病んでいる夫を持ち、子を持っているならば、どうするのですか。どしどし、やみ米を運びなさいという以外にない。
国法では悪いが、仏法では悪くない。
国民の生活を維持できないのは、国の政治が悪いのではないか。
捕まらないようにやるのが仏法です。
国法と仏法とけんかして、仏法は必ず勝つ!
当時は法に従って配給米しか食べなかった裁判官が餓死するほど食料が不足しており、人々はやむを得ず法を破ってヤミ米を食べていました。
まじめに働いていても生活できないのなら、法を破るしかなくなります。この責任は個人ではなく、国にあります。
しかし、肝心なのはあくまで仏法が根底にあることです。必要もないのに国法を破れば、もちろん罰を受けるでしょう。
極限で真価を発揮するのが、生きた宗教なのです。