誰でも死ねば生命は大宇宙に溶け込み、一体となります。
たとえ自殺しようと、その未来からは逃れられません。
個人の幸福など些細な話で、この仏法が目指すのは、われらが本体である大宇宙そのものの宿命転換です。
戦争や環境破壊を繰り返す「人の性が悪」であるとしたら、その邪悪な人類を生み出してしまう宇宙の宿業(阿頼耶識)それ自体を変えるしかないのです。
その意味で、人類の誕生も滅亡も、仏にとっては些細なことでしかありません。
人界の衆生は宇宙の至る所、時代に生まれてきます。地球にしかいないわけではありません。
地球中心に仏法を考えてはいけません。狭い地球に縛られた仏などいません。
もう地球に生まれたくないのなら、そう祈ればいいのです。あるいは、もっと出来のいい(笑)新人類に進化するよう祈りましょう。
今の人類を全肯定する必要などありません。生命の可能性は無限大です。
好きな時代、好きな場所に、好きな姿で生まれてこられるのが仏の境涯です。
そもそも地球に広宣流布できたとしても、あなた自身に福運がなければ、もう地球に生まれてくることはできません。肝心なのは地球人類ではなく、あくまであなた自身の三世の生命です。
菩薩界では、まだ自他の区別があります。その意味で実相そのものではなく、境涯に限界があります。
それに対し仏界では、最初から自他の区別がありません。我即大宇宙です。すべてが我が事であり、他人事は存在しません。
観念ではなく、それを「実感」することが成仏なのです。