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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅 カルト撲滅

なぜ仏には難が絶えないのか

日蓮大聖人は、立宗宣言の直後より、地頭の東条景信から命を狙われました。

その時、兄弟子の義浄房・浄顕房が、密かに脱出の手伝いをしました。

大聖人はこの恩を「天下第一の法華経の奉公」と讃えられ、2人の成仏は間違いないと仰せになりました。

立宗の直後に大聖人が殺されていたなら、法華経はその時点で滅びていたことになります。

だからこそ、大聖人はここまで2人を称賛されたのです。



大聖人の御生涯は立宗から入滅まで、命に及ぶ大難の連続でした。

かろうじて命拾いしても、衣食にも事欠く生活が当たり前でした。

大聖人はこれを「過去世の宿業のゆえ」と御謙遜されていますが、当然この宿業は、願兼於業で望んで背負われた仮の宿業です。

そもそも、「仏の命を救う」功徳を積むためには、仏が殺されそうにならなくてはいけません。

つまり仏は、弟子や同志に大功徳を積ませるため、あえて大難を引き受けるのです。

仏が皆、何不自由ない裕福な姿だったら、衆生は仏に供養する気を失ってしまいます。

だからこそ、仏はあえてみすぼらしい凡夫の姿でこの世に出現するのです。



学会員は「貧乏人と病人の集まり」と言われてきました。

だからこそ、同志が支え合い、供養し合って、みんなで大功徳を受けてきたのです。

しかし、豊かな時代が続き、同志間にも支え合いの精神が失われつつあります。

人間関係が、「学会活動以外はお互い深く関わらない」というような、ドライな関係になってきています。コミュニティとしての機能が喪失しつつあります。

これが、大きな間違いなのです。

池田先生は、小さな商店を自営している同志を激励に訪れた時、ポケットマネーで店の品を全て買い取られたことがありました。

私生活に渡って徹底的に支え合っていくのが、異体同心の団結の姿です。

ただ「まだ題目が足りない」と説教するだけの激励など、本来激励とは呼べないのです。



あなたの周りにも、病苦や生活苦に直面している同志が必ずいるはずです。

彼は、あなたに大功徳を積ませるために、あえて大難を引き受けてくれたのです。

学会本部に財務するのと全く同じ気持ちで、「ありがたい、ありがたい」と感謝しながら、激励の品を「供養」してあげてください。

本部職員に供養を受ける権利があるならば、全学会員に同じ権利があります。

それを「同志を甘やかしてはいけない」などといって、供養をケチるのは、法華経の行者に失礼です。せっかくの功徳を、自ら消してしまうことになります。



仕事の紹介でも、異性の紹介でも構いません笑

できる限りのことをしてあげてください。

ただしもちろん、組織を動員してはいけません。あくまで、あなた個人で供養しましょう。

御供養の功徳は、生々世々に渡り、永遠に続きます。また、そう確信して疑わないことです。



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