蓮祖と同い年の門下・太田乗明は、大厄とされる57歳の時、体調不良を嘆くお手紙を蓮祖に送っています。
それに対する返信が「太田左衛門尉御返事」です。
この中で蓮祖は
「当年の大厄をば日蓮に任せ給へ」と激励されています。
これはもちろん第一に
「日蓮があなたの厄払いを祈っているから安心しなさい」
という意味でしょう。
乗明に対して「祈りなさい」と指導するのではなく、「私に任せておきなさい」と温かく抱擁しているところに、蓮祖のお人柄が現れています。
奥様はお子さんが学校に遅れそうな時、朝の勤行が済んでいなくても「お母さんがみんなの分まで祈っておくから大丈夫」と言って、お子さんたちを送り出されたそうです。
今の学会には「自分のことは自分で祈れ」式の、突き放す指導が多すぎます!
それだったら組織など要りません。
同志に悩みを相談されたら、まず「私があなたの分まで祈るから任せておきなさい!」と断言するのが、真のリーダーです。
法華経のリーダーの第一の役割は「祈る」ことであり「祈らせる」ことではありません。
自分だけでなく眷属にまで功徳を回向し、成仏させることができる、素晴らしい信心です。
管理人も、読者の皆様が抱えている悩みを解決する日まで、ずっと題目を送らせていただきます。
そしてまた「日蓮に任せ給へ」という一言には、同い年の乗明に対して
「同じく当年大厄の日蓮が、あなたの分まで厄を引き受けましょう」
という意味合いも込められていると拝されます。
もとより蓮祖は「全ての門下の悩みを代わりに引き受けてやりたい」というお気持ちであられたはずです。
仏は主師親の三徳を兼ね備えています。蓮祖は一切衆生の父母であり、親が子どもの苦悩を代わってやりたいと願うのは当然です。
門下に代わって大難を受けることこそ、蓮祖の最高の歓喜だったのです。
広布のリーダーは、第六天魔王に狙い撃ちされ、次々と大難が襲い掛かります。
それこそが、同志の宿業を一身に引き受けている証なのです。
現代においてそれを体現する師匠が、池田先生です。
学会へのバッシングと言っても、実際は全て池田先生への個人攻撃です。
したがって池田先生を守ることこそ、全学会員を、法華経を守ることになり、その功徳は無量無辺なのです。