人間革命「驀進」より
折伏は、戸田が師匠であります。
信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい。
創価学会では、初代牧口・2代戸田・3代池田の3代会長を「永遠の師匠」と定めています。
なぜ、歴代会長ではなく、3代までが師匠なのか?
また、将来的に新たな師匠が登場する可能性があるのか?
そもそも、末法の本師である日蓮大聖人以外に、なぜ師匠が必要なのか?
これらの質問に、明確に答えられる幹部は、ほとんどいないと思います。
ここが明快でないと、師匠が新興宗教の教祖と変わらなくなってしまいます。
これにはまず、3代会長が「何の」師匠かを、正しく理解する必要があります。
三大秘法の生みの親であり、「法体の広宣流布」をなされた末法の本師は、もちろん日蓮大聖人ただお1人です。
御書編纂をはじめ、富士宗学を集大成された日亨上人は、教学の師匠と呼べるかもしれません。
しかし、「化儀の広宣流布(折伏)」を現実に進めてきたのは、日蓮仏法の歴史上、創価学会の3代会長だけです。
御在世当時、法華宗は最盛期でも1000人未満と推計されています。
一応題目を唱える者は多かったものの、弾圧を恐れずに法華経に帰依する覚悟を持つ人々は、まだ少数でした。
以来数百年、富士門流は弱小宗派に過ぎませんでした。
しかし、牧口先生の出現により、全てが一変します。
牧口先生は、57歳で入信してから逮捕されるまでのわずか10余年に、自ら500人に弘教されています。
まさに、宗史始まって以来の「折伏の天才」だったのです。
創価教育学会は弾圧で壊滅したものの、牧口先生から折伏を教わった戸田先生が、見事に再建を果たします。
草創の幹部は、皆戸田先生の折伏を見学し、真似をすることで、折伏を決められるようになっていったのです。
戸田先生の弟子で、突出して折伏の結果を出したのが、池田先生でした。
学会が750万世帯を達成したのは、池田先生が会長に就任されてから、わずか10年後です。
要するに、広布の歴史で最も折伏の結果を出してきたのは3代会長であり、この3師が会長だったからこそ、学会はここまで発展したのです。
創価学会は、永遠に折伏の団体です。したがって、3代会長が永遠の模範であり、師範となるわけです。
師匠を離れて自力で御書を学んで折伏したい者もいるでしょうが、御書の原文は大部分が漢文なので、まず漢文を正しく読めないと話になりません。
また、折伏した人にも漢文で仏法を教えていかねばなりません。
これで、現実的に広宣流布が進むはずもありません。
仏法を現代語で正しく解説してきたのは、間違いなく3代会長です。
結局、師に学ぶのが広宣流布の1番の早道なのです。
それでも師を持ちたくないのであれば、学会を出て自己流で頑張ってください。学会の看板を使ってはいけません。
何年か真剣に頑張れば、やっぱり折伏の師が必要であることに気づくでしょう。
率直に言って、歴代会長全員に、3代会長に匹敵するほどの力量を求めるのは、酷です。
もちろん、それぞれの時代において、最も折伏を決めたものを会長に選ぶことが基本ですが、3代会長と同列に扱うことはできません。
末法万年において、偉大な師匠が途切れることなく現れることを期待してはいけません。
もちろん将来的には、3代会長に匹敵するほどの折伏の天才が出現する可能性もあります。
その場合には、彼・彼女が新たにその時代の師匠として認められるでしょう。
ただしそれには、個人折伏を最低500とか1000という単位でやることが最低条件ですが。
また、そうした天才も、3代会長の残した指導に従っていることは間違いありませんから、やはり3代会長を永遠の師匠に認定することは正しいのです。