若き日の日記1960/1/17より
具体的な解答指導の、最も大事なりしことを反省する。
1/18より
多数の幹部が、見送りに来てくださる。寒いのに恐縮する。
将来は、けっしてこのようなことのないよう、自分から戒めたい。
1/19より
自分自身が共に苦しまずして叱りしあとの、自分を常に反省するなり。
2/5より
多数の人が出入りし、旅館に迷惑をかけた感じ。要注意。
2/6より
「松野殿御返事」後半。
厳しい御書に、わが身を反省す。
師匠とて「あれは失敗した」と思うことは、いくらでもあったのです。
凡夫ですから当然です。
弟子にとって大切なのは、「師と同じ失敗を繰り返さない」ことです。
また、指導内容が矛盾する場合、基本的には最新の指導が優先されると考えるべきでしょう。業務命令と同様です。
あるいは、師の時代には最善だったことも、現代には当てはまらないケースもあります。
たとえば池田先生は世界平和への試みとして日中友好を推進しましたが、当時と今の「習王朝」では、中国の状況もまるで異なります。
師匠を神格化し、その言行をドグマとしていくのは間違いです。それを世間でカルトといいます。
最終的には弟子自身の責任で判断していくほかなく、だからこそ師匠の足跡を綿密に辿り、弟子一同で共有する必要があるのです。
今この場に師匠がいたなら、どう判断しているか?
それを基準としていくべきでしょう。