1953/5/12、池田大作部隊長は、埼玉の加須を訪問し、座談会を開きました。
当時、この方面では折伏が進まず、51年に初の会員が誕生して以来、17世帯にとどまっていました。
しかし、この晩の座談会では一挙に6人が入会を決めています。
部隊長は深夜までの個人指導のため終電に間に合わず、拠点に泊めてもらったほどでした。
その日を境に、地域では爆発的な弘教拡大が始まります。
あまりにも新入会員が多いため、「先輩」の小学生が勤行を教えるほどでした。
このように、1人が皆の前で正しくお手本を示せば、連鎖的に弘教が進んでいくというのが、折伏の方程式です。
だからこそ、中心者は絶対的に「折伏で結果を出せる人物」でなくてはなりません。
この原理原則を守ってきたからこそ、学会はここまで発展できたのです。
号令だけで自分では動かない、結果を出せない中心者など、むしろ獅子身中の虫です。
君たち青年こそが結果を出し、ニセ幹部をどんどん叩き出していってください。ニセ幹部の居場所がない学会を築いてください。
師匠と同じように戦うからこそ、弟子なのです。