池田大作全集73 160頁より
いつも太陽のようにギラギラ燃えてばかり(笑い)、大声で激励ばかり(笑い)では、自分も疲れる。第一、周りが迷惑である(笑い)
あるときは太陽のような満々たる生命力が必要である。とともに、ある時は月光のように、清涼で穏やかな「精神の光」と、円満な「知恵の光」を持たなくてはならない。
学会にあっても、これまではいささか偏りのある「ミニ太陽」のような人が多かったかもしれない(笑い)
今後は、太陽の力と満月の光とか、見事に調和されたような人材の成長を目指していくべき時代と言えよう。
このご指導は、太陽を「情熱」、満月を「叡智」ととらえれば、より分かりやすいでしょう。
学会の幹部には「熱いだけで中身のない」形式の指導激励が多すぎます笑
「祈れば必ず解決する!」「100万遍に挑戦するんだ!」今さらそんな分かり切った指導をされても、役には立ちません。
そういう幹部ほど、指導は先輩の受け売りで、自分では本尊流布ひとつ決められないようなニセモノばかりです。
仏法は道理であり、理性的な指導が必要なのは当たり前です。
先生が「迷惑」とまで言われていることを忘れてはならないでしょう。
同173頁より
軽度の「心の病」の人は、いよいよ増加している。そういう人には強烈な激励は逆効果になる場合が多い。
静かに話をよく聞いてあげ、同苦してあげる包容力がポイントとなる。
何か相談すると、話も聞かないうちに、いつも「とにかく題目をあげればいいんだ!」(爆笑)では、やりきれない。
「真理である」ことと「説得力がある」ことは違う。
先生は、現場の模様をよくご存じです笑
心身ともに疲れ果てている同志に対して「君はまだ題目が足りない!」という指導をしても、ますます追い込むだけです。
うつの原因は「頑張りすぎ」なので、絶対にそれ以上頑張らせてはいけないのです。そんな一般常識も無い人間に、絶対に幹部などやらせてはいけません。
確かに、どれだけ祈ってもそれで十分ということはないので、足りないという指導はウソではありませんが、実質的にはマイナスにしかならず、しないほうがマシな指導です。
「僕が君の分まで祈るから、今はゆっくり休んでください」そう激励するのが、真のリーダーです。
自分だけでなく、皆も成仏させられる、素晴らしいお題目です。
「自分のことは自分で祈れ」といって突き放すなら、最初から組織など要りません。
同209頁より
聞いてあげることが、激励・指導の出発点である。
ただガーガーと(笑い)しゃべってばかりして、いっこうに人の言葉を聞かない幹部は、すでにリーダー失格である。
これも、創価学会あるあるですね笑
先生は本当に現場をよくご存じです。
指導激励が一方的な「演説」で、「対話」になっていないのです。
これはやはり、折伏弘教の実践が足りていない現れでしょう。
幹部の肩書があれば、会合では、みんなおとなしくあなたのスビーチを聞いてくれます。
が、それだけで「対話力」は磨かれません。
肩書の通用しない外部の人と、真剣勝負の仏法対話を重ねることで、初めて対話力が鍛えられるのです。