池田会長講演集第一巻より
文化活動がどんなに多角的になろうと、この二つ(折伏と教学)の実践を絶対に忘れてはなりません。
ともすると、多角的な活動に幻惑されて、本来の活動を見失いがちである。
各自が初心に立ち返り、学会本来の根本の伝統に戻っていただきたい。
いまの学会は選挙や任務が忙しすぎて、信心しているヒマがない有様です(笑)
誰も折伏していない、教学も深めていないのであれば、もはや仏法の団体とは言えません。
池田先生は会長時代からその傾向を憂慮されていました。
確かに、選挙も任務も容易な戦いではありません。かといってそれで事足れりと考えるのでは、少なくとも幹部の資格はありません。
幹部が文化活動に偏り、「悪いお手本」を示していれば、当然功徳どころが罰の人生となってしまいます。
みんな、なんで功徳がないのか悩んでいますが、当たり前のことです(笑)
ラインの長は、常に「折伏責任者」なのです。事実として折伏の成果が出ていないのであれば、その長はどれだけ忙しく動いていても責任を果たしていません。
まずは長自ら折伏に挑み、功徳と人間革命の実証を示すことです。
第一、やらせる信心に功徳はありません。幹部ほど功徳が大きいのは、役職にふさわしい折伏を重ねている場合に限ります。
折伏は美利善全ての価値を含んでいます。
自らやるのが一番「お得」なのです。