池田大作全集90 279ページより
「全体人間の育成」が、学会の目標である。
いくら秀才でも、信念がない。
いくら有名でも、哲学がない。
いくら情熱があっても、知性がない。忍耐力がない。
いくら人気があっても、誠意がない。
これでは、全体人間ではない。
偏波であり、ひとつひとつがばらばらである。
総合性こそ、信仰者の徳である。
「妙法蓮華経」には、徳も生命力も情熱も、知性も福運も哲学も、すべてが総合的に備わっているからである。
戸田先生は池田大作青年に対して、信行学の訓練だけでなく、実業家としての訓練、学問全般にわたる教授と、あらゆる面で総合的に鍛え上げました。
それこそが、法華経の修行です。
いくら役職が高くても、折伏を決められない、あるいは教学が適当というのでは、バランスが悪く、とてもお手本になりません。
あらゆる戦いにおいて結果を出せてこそ、皆のお手本になります。
「そのうえで」学会活動だけでは不十分です。
社会生活においても実証を示し、教学以外の教養学識も備えていてこそ、初めて全体人間と言えるのです。
確かに組織戦においては、それぞれの欠点を補いあうことも大切でしょう。
しかし広宣流布の戦いは最後は言論戦、あるいは個人の信用に帰結しますので、結局は「個人戦」となります。
功徳は、組織で山分けではありません。成仏できるかどうかは、あくまで個々の信心によるのです。