創価学会指導集1 226頁より
理論は実践でないという考え方は誤りである。
理論を構築し、理論を鮮明にすることも、大事な実践である。
浅く狭い考えではもろくなってしまう。
よく「折伏に教学は必要ない」などといわれますが、これはもちろん、
教学が要らない「場合もある」というだけの話であって、全ての折伏に教学が要らないわけではありません。
むしろ、教学が必要なケースの方が、ずっと多いでしょう。
開目抄には
「習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」
とあります。
儒外内とは儒教・外道・内道のことです。
儒教は世間一般の道徳、外道は仏教以外の宗教、内道は仏教を指します。
すなわち「この世のあらゆる思想哲学に精通せよ」との、御本仏の御命令なのです。
仏法はもちろん、邪宗の教義にも精通し、その矛盾点を明らかにできてこそ、折伏は進みます。
他宗を研究しないことは謗法です。
今の学会員の弱点は、ここにあります。
かつての学会では「折伏教典」において、あらゆる宗派の弱点が研究され、破折に活用されていました。まさに「学会」の名に恥じない頭脳集団だったのです。
しかし今は、活動家といっても、会合と選挙しかやったことのない人材ばかりです。
他宗を研究していないから、いざ対決しても破折ができません。
そんな人材が幹部に上がってしまうから、ますます折伏力が衰え、会合と選挙に逃げる。。。という悪循環に陥っています。
本当は教学試験でも「靖国神社を破折せよ」などといった設問が必要でしょう。
一切は、御書を軽んじるところから、間違いが始まっています。
大聖人の教えを純粋に守ることが、日蓮一門としての義務なのです。