価値論に照らして、折伏が最高の大善であることは明らかですが、さらに詳しく見ると、折伏も大善、中善、小善の3種に建て分けることができます。
小善の折伏に当たるのが、内部の個人指導です。
いくら発心して御本尊を頂いても、そのまま放置されてしまえば、成仏の軌道に乗ることはできません。
粘り強い個人指導が不可欠です。
つまり、個人指導も折伏の欠かせないプロセスであり、総仕上げなのです。
善知識と励まし合いながら信心を深めていくのも、小善の折伏だと言えるでしょう。
つまり、学会活動も折伏行なのです。だから功徳があるのです。
中善の折伏に当たるのが、外部の人を発心させて入決・本流を勧めることです。
もとより入会させなければ個人指導はできません。
そして、発心させることは、内部の個人指導の何倍も難しいものです。
それだけに、発心させる功徳は絶大です。
そして大善の折伏が、謗法の呵責です。
立正安国論は、念仏の破折を中心とした内容になっています。お題目を唱えさせることより、まず謗法を止めさせることが先決なのです。
いくら会員を増やしても、信心が濁っていれば、かえって組織を破壊してしまいます。
入会させる前に、徹底して謗法の害を説き、納得させておかなくてはなりません。
邪宗の活動家と法論した場合などは、打ち破っても容易に入会させられない場合もあります。
しかし入会させなくても、邪宗から離れさせるだけで絶大な功徳があります。
そして最高の折伏が、悩乱した幹部と闘うことです。
滅多に無いことではありますが、仏法の方程式に照らして、最高幹部の退転は避けられません。
それに引き込まれれば、自分自身も退転する羽目になります。
日ごろから御書を心肝に染め、おかしな幹部が現れたら、断固として闘い、組織から追放することです。
それ以上の大善はありません。