歓喜は、三大秘法を遺して下さった大聖人への、感謝の一念から生じます。
祈りとして叶わざるはない、この三大秘法と巡り合えたこと自体が、人生最大の大歓喜なのです。
その有難さを忘れてしまえば、どんなに唱題折伏しても、歓喜が無いのは当然です。
大聖人は末法の凡夫の愚かさをちゃんとご存知で笑、本人がかえって苦しむような愚かな祈りは、自然に叶わないようにしてくださいました。
たとえば「大金持ちになって毎日好きなだけ酒を飲みたい」と祈っても、そのためにアルコール依存になってしまうようなら、その祈りは実現せず、本人にとって本当に望ましい人生を実現してくださいます。
「失業してよかった」「入院してよかった」「離婚してよかった」「刑務所に入ってよかった」という人生にしてくださいます。後から振り返ると、ちゃんとそうなっているのです。
あなたが、暇があるとお酒やパチンコにのめりこんでしまう生命なら、ちゃんと忙しい役職につけてくださいます笑
おかげで体を壊すことも無く、お金も貯まっていきます。
何物にも変えがたい、誠に有難いお題目なのです。
ですから本当は、
「大聖人様、本当にありがとうございます!」
それさえ祈っていればいいのです。