この甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へどもおぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候、なかなかしき人の信ずるやうにてなめりて候へば人の信心をもやぶりて候なり
(上野殿御返事p1540)
【通解】
この甲斐の国にも少々信じようとする人々はいるけれども、はっきりとしないうちは入信させないのである。なまじっか人が信心しているような格好をして、いいかげんなことをしたときには、人の信心も破ってしまうのである。
大聖人は、むやみに信徒を増やそうとはしませんでした。
金儲けではありませんからね笑
ご在世の信徒数は、ピーク時でも1000人に満たなかったといわれています。
頭数を増やすのではなく、1人でもいいから真の弟子を育てることが、真の折伏です。
特に、信心が定まらない者や、組織利用を企てている者を入れてしまえば、組織は破壊されてしまいます。
例えば、男女合同で飲み会を開催すれば人は簡単に集まるでしょうが笑、信心の結集からはかけ離れてしまいます。
そんなものでいくら人を集めても、意味はありません。
また、
他宗のスパイが内部かく乱を目的に入り込んでくる場合もあります。
ふさわしくない人物を断じて組織に近づけないことも、大事な闘いなのです。
池田大作全集69 51頁より
どんな人でも信心させればいいというものではない。
その人が信心を利用しようとしている時もある。
性格的にくせがあって、多くの人に迷惑をかけて退転させていくような黒い心の人もいる。
信心の世界に入れることについて、よくよく注意し、峻別しなくてはならない場合があるだろう。
池田大作全集72 534頁より
将来の大発展のために、今はじっくりと足元を固めながら、人々がうらやみ、「あの仏法カレッジに、何とか入りたいものだ」と自ら求め望んでくる時代をつくるぐらいの誇りと慎重さと格式をもっていきたいものである。(スウェーデンでの指導)