役職をいくつも兼任し、熱心に活動しているのに、歓喜や功徳の実感がないという経験は、幹部ならだれもが持っていると思います。
その原因はやはり、一念の狂いにあります。
信心は「日蓮と同意」が大原則です。一閻浮提広宣流布を祈ることが、仏の心です。
しかし、
組織に属していると、つい「自分の組織さえ発展すればよい」という自分中心の祈りになりがちです。
たとえば男子部員ならば、女子部や壮婦のことは祈らなくなります。
部長ならば、他の部のことはどうでもよくなってしまいます。
これはもはや異体同心でも何でもありません。自ら信心の血脈を絶っています。
下手をすると「うちの組織に活動家が引っ越してきてくれないか」という他力本願の祈りになってしまいます。もしそれが実現したとしても、広宣流布が進んだわけではないので、誰にも功徳はありません。
また、同志のことだけ祈り、外部の人には冷たくなってしまいます。信心することで、かえって人格が狂ってしまうわけです。
大組織の幹部になって、鼻を高くするのは、修羅の生命です。
このように自分中心の祈りは、大宇宙のリズム、仏のリズムを乱してしまうので、かえって功徳を消してしまうのです。
池田先生が世界の識者と対談を重ねてきたのは、何も学会の勢力拡大が目的だったわけではありません。
ただ「世界を平和にせん」とする一念です。これが日蓮と同意の実践なのです。
人間が2人以上集まれば、それは組織です。
広宣流布の闘争において、組織と関わりを持たないことは現実に不可能です。
しかし「日蓮と同意」の信心を忘れれば、組織も魔として働いてしまいます。
組織や役職に、あなたを成仏させる力はありません。組織が本尊だったら、お題目はいらないことになります。これはもう日蓮仏法ではありません。
役職が上がれば上がるほど、ますます役職に依存しない純粋な信心が求められるのです。