人には誰でも個性がありますので、「全員が」「全ての活動で」平均的な結果を出すことは不可能です。
苦手があるのは、恥ずかしいことではありません。
むしろ、何の苦手もない人では、「どんなに頑張っても結果が出せない」メンバーの悩みを理解することができず、仏として失格でしょう。
しかし、日本人は横並び意識の塊ですから苦笑、平均から外れた仲間を怨嫉する傾向があります。
「あいつはなぜ部活に出ないんだ」
「あいつだけいつもFが少ない」
「1人だけ役職を受けないのはずるい」
「あいつ1人のわがままで団結が乱される」
などなど、全て「あいつは信心が足りないから」ということにしてしまうわけです。
結局、個性的な人材ほど組織から排除されることになり、平均的な人材しか残らない組織は、どんどん弱体化していきます。
これは、「異体同心」と「一心同体」を区別できていないためです。
個性を否定し、全員に一律の活動・結果を求めるのは、全体主義であり、一心同体の強制です。
和合僧の対極にある、反人間的恐怖支配です。
それに対して異体同心は、各人の個性長短を受け入れたうえで、支え合っていく団結です。
和合僧は、必ず異体同心の団結でなくてはいけません。
それぞれの個性長短を考慮せず、全員に平均を要求することは、「破和合僧」に通じてしまいます。
信心は「横並び」ではなく「1人立つ」精神です。
横を見ながら信心するバカはいません。まっすぐ御本尊だけを見つめてください。
苦手を抱えたメンバーがいるなら、足を引っ張られるなどと考えず、
「彼の分まで折伏を頑張ろう!」
そう決意することこそが、1人立つ精神です。
自分がやった分だけ功徳になるのですから、そう考えたほうが得です。