創価教育学体系より
自宅で学習させるような方法ができるならば一定の時間、教師が付いて居て指導する必要もないことになろうというのである。
将来は各学科に一人の教師が必ずいなければならぬという今の制度は改まり各学校共に重要なる数人、あるいは数学科に一人というように教師が配置されて総体の生徒を指導し、試験するという風になっても相当の成績を挙げうることになりはせぬか。
この時代は教育の経済上からいってもやがて来るべきものであると余は信ずるのである。
女学校の一日制度などに至っては考えてみればむしろ滑稽の至りである。
家事の教育を主となすのに、わざわざ家庭と隔離しておいて、家事科なんぞと断片的な抽象的な知識の屑の寄せ集めを注入暗記させているとは何という矛盾であろう。
近頃ラジオの英語講座があるが、これこそ家庭講座に置いたら如何。
女子高等師範出身者をアナウンサーにして置いて、婆さんも娘もたすきをかけて号令で以て働くようにしてみたら如何。それこそいわゆる家事の生きた稽古
これは要するに「通信教育の時代が来る」という予言です。
牧口先生ご自身も、女子の通信教育に専念されていた時代がありました。
IT化によって、先生の予言は現実化されつつあります。働きながら世界のどこからでもオンラインで授業を受け、卒業できる大学も登場しています。
創価教育学は、まさに21世紀の教育学なのです。