昭和31年の参院選において、池田大作参謀室長は大阪で約22万票を叩き出し、世間を驚かせました。
しかし、翌年の補欠選では、同じ大阪で17万票しか出ませんでした。
たった1年で、2割以上の減票です。
学会の候補は落選しました。
池田先生でさえ、全勝は不可能なのです。
選挙は、やるたびに諸条件が変化しますので、数割の得票の上下は当たり前のように発生します。
詳しくは人間革命11巻「波瀾」の章をご覧ください。
この補欠選は、最初から落選覚悟で挑んだ戦でした。
この時、ただ1人当選した自民の候補は約28万票です。当時の大阪の学会員は6万世帯ですから、当選には世帯比500%近い票を出す必要がありました。もちろん現実離れした目標です。
選挙民の心理として、勝ち負けが見えている選挙には、わざわざ行かないものです。
前年は当選の可能性が見えていましたが、今回はさすがに敗戦必至なので、現場(特に外部)は最初から「やるだけ無駄」モードだったと考えられます。
どうせ負けるなら入れるだけ無駄というのが、平均的な日本人の考え方です。
それが、1年で5万票も消えてしまった大きな理由でしょう。わずかな条件の差が、巨大な得票の差となります。
池田先生は、「目標設定は高すぎても低すぎてもいけない」と指導されています。
達成不可能なレベルの目標を掲げると、かえってやる気をなくしたり、現実離れした闘争になりがちです。
この補選は、奇しくもそれを証明する貴重な歴史となりました。
(ただし世帯比300%近くを出しているので、得票数では大健闘です)
戸田先生は珍しく、この補選に打って出るかを最後まで迷っていたそうです。
それでも最終的に、負け戦への出馬を決意したのは、
「選挙戦の目的が当選ではない」ことを、改めて周知させる狙いがあったものと考えられます。
もちろん当選したほうがいいのは当たり前ですが、
落選したからといって、その戦いが仏法上全くのムダということにはなりません。
仏法対話ができていれば、少なくとも下種拡大にはなるからです。
票は増えたり減ったりするものです。それに一喜一憂するのは愚かです。
本当の勝負は、選挙の後に折伏が進んでいるかどうかです。
われわれは「選挙屋」ではなく「折伏屋」です。
拡大が進んでいれば、たとえ票が減っていても、落選でも、その戦いは大勝利なのです。