かつて公害病は、旧厚生省によって原因不明の風土病とされてきました。
しかし1967年5月26日、公明党の矢追秀彦参議院議員が初めて「イタイイタイ病は公害が原因である」と追究し、政府も翌年にはイタイイタイ病の原因が神通川に流されたカドミウムであることを認めました。
政府が公害病の企業責任を認めたのは、これが初めてでした。さらに政府は、水俣病の原因がメチル水銀であることも認めました。
これによって、長年国に見捨てられてきた被害者に、ようやく保障の手が差し伸べられたのです。
質問当時、矢追議員はまだ34歳。当選一期目の新人でした。
一人立つ青年の、正義と勇気の叫びによって、一国の宿命が大きく転換したのです。
青年よ、闘い抜け! 歴史を創れ!