18世紀、プロシャのウィリアム皇太子は、作戦に失敗したある少佐を詰問していました。
少佐は「私は皇太子の命令通りに行動したので責任はない」と弁解しました。
それに対して皇太子は、
「言われたとおりに動くだけなら、将校の資格はない。階級とは、必要に応じて命令違反するための権限として与えられているのだ」
そう教訓しました。
以来、実戦組織の階級の意義は、それが世界の常識となっています。
作戦本部が全ての情報を把握し、正しい判断をしているとは限りません。
現場で初めて得られる情報もあります。その場合、現場でただちに軌道修正が必要であり、その判断のために将校がいるのです。
実戦では常に、作戦を守ることより勝利することが優先されます。作戦を守っても、敗北すれば責任を果たしたことになりません。
創価学会も言論戦の実戦組織であり、考え方は同じであるべきです。仏法は勝負です。
打ち出しを忠実に守ったとしても、事実として折伏が進んでいないのであれば、その中心者は責任を果たしていないのです。
ある意味で、本部からの打ち出しは全て「試案」であり、最終判断は現場にゆだねられています。
ナポレオンがワーテルローで敗れた原因も、部下の判断ミスでした。
部下のグルーシー元帥は、ワーブルヘ向かってプロイセン軍を追撃せよという命令を受けていました。
しかし翌日、ワーテルローから砲声が聞こえてきます。戦闘が勃発したのは明らかでした。
戦場では、砲声の轟くところへ向かうことが鉄則です。
しかしグルーシーは、命令違反で処分されることを恐れ、そのままワーブルヘ向かったのです。
このとき、ただちにグルーシーが加勢していれば、ナポレオンの勝利は間違いなかったと言われています。
自己判断できず、指示通りにしか動けない幹部は、組織を滅ぼすのです。