享保4年(1719)年に日寛上人が加賀の信徒に送られた「報福原式治状」には、勤行の形式に対しての指導が記されています。
それによると、
「可能ならば本山と同じく五座三座の勤行を、ただし士官の身公用などの時は五座三座を心に留めて題目一遍でも唱えていきなさい(原文は漢文)」
と記されています。
もとより御書には五座三座の勤行についての指導はなく、大石寺の歴史の中で後年に整っていった方式だと考えられています。
すなわち、基本的には出家のための修行です。
在家の信徒が、毎日何時間も勤行に励むのは、現実的に困難を伴い、かえって退転者を増やしてしまいます。
勤行そのものを諦めてしまうくらいなら、一日一遍でも唱え続けたほうが、はるかにマシです。
今日においても、たとえば新聞配達の前に五座の勤行を行っていたら、寝不足になってしまい、事故の元です。
人界の衆生は宇宙意志によって毎日7時間以上の眠りを義務付けられています。それに逆らって睡眠時間を削って祈るのは、宇宙法に反しています。
また、五座三座では肝心の題目を唱える時間が短くなる問題があり、今日では創価学会でも朝晩共に方便・自我偈・題目の形式に省略されています。
池田先生も、忙しい時や疲れている時は題目一遍でもよいと指導されています。
早く休んで疲れを取り、その分、翌日に集中して祈ったほうが価値的です。
仏法は決して「苦行」であってはいけません。それでは、人一倍丈夫な人しか成仏できないことになってしまいます。
信心はあなたを縛るものではなく、自由にするものなのです。