御本尊に記されている大梵天王は、ヒンドゥー教ではブラフマンといい、天地創造の神です。
帝釈と共に、一切の諸天善神の王とされています。
しかし、大宇宙も妙法に従いますから、この梵天ですら仏から見れば眷属です。
御本仏大聖人がその気になれば、太陽を西から昇らせることも、二つに割ることも、自由自在にできたはずです。
大宇宙を創造した梵天に命じれば、太陽の一つや二つ、どうとでもなります。
必要が無いからなさらなかっただけで、御本仏にできないことなど何もないのです。
(鎌倉上空で日天を割ったことはある)
御本仏に対して「いくらなんでもそれはムリですよね」と思うのは、不信です。
そしてもったいなくも、われら凡夫の唱えるお題目も、大聖人が唱えるのと、全く同じ力があります。
お題目を唱えれば、梵天に命じて思い通りに世界を創造していくことができるのです。
地球ひとつに広宣流布することなど、造作もありません。
人間一人の宿命を転換することなど、さらに容易です。
また、そう信じて祈ることが肝要です。