アーメンとはヘブライ語で「賛成」を意味する言葉ですが、世界のどこであっても、クリスチャンの儀式では翻訳することなく、そのままの発音が用いられます。
聖書そのものを訳すことが認められているのに、アーメンだけ不変なのは、奇異にも思えます。
このことから、単語の意味ではなくアーメンの「発音そのもの」が宗教的に重要なのだと考えられます。
実は、発音に多少の相違はあれ、ムスリムの儀式でもアーメンは用いられます。
つまり、キリスト教もイスラム教も、その布教の本質はアーメンという「題目」を「広宣流布」することにあるといえます。
アーメンの起源は、古代エジプトで信仰されていた大気の神アメンとされています。
アメンは太陽神ラーと習合し、後に最高神「アメン・ラー」とされました。
ムスリムが神を「アラー」と呼ぶのも、アメン・ラーが語源と見られます。
歴代エジプトにはアメンを冠する王が多く、ギリシャでもアメンは最高神ゼウスと同一視されました。
かのアレキサンダー大王も、自らをアメンの息子と称しています。
今日、アメン信仰は新興勢力のキリスト教やイスラム教によって滅ぼされたと考えられていますが、むしろ実態としては世界に広宣流布しているのです。
あらゆる宗教の本質は、日々の祈りで口にする「題目」にあります。蓮祖は当然、この原理を知悉されておられました。
宗教によって題目はそれぞれ異なりますが、蓮祖はあらゆる題目の中で「南無妙法蓮華経」のみが唯一絶対完全無欠であることを突き止められ、高らかに立宗されました。
ゆえに、題目は翻訳されることなく、世界のどこでも南無妙法蓮華経そのままで唱えられなくてはならないのです。