神道は「八百万の神」なので、教義の上では何を祭神に選ぶことも可能です。
御本尊に著作権は存在しないと思われるため、どこかの神社が勝手に日蓮本尊を神体として安置することも、不可能ではありません。
仮に、学会員がこのような「日蓮神社」を参拝し、題目を唱えたとしても、謗法には当たらないのでしょうか?
なお、ここでは神社本庁に所属しない単立宗教法人として考えます。
御在世当時には、神主が大聖人に帰依するケースもありました。
この場合、元の神体を取り除いて御本尊を社に御安置していたと考えられます。
祭壇が必ず仏壇でなくてはならないという決まりはありませんので、そこは柔軟に対応していいのです。
現代においても、壁掛け式であったり、ピンク色の仏壇に御安置したりしていますが(笑)そこは自由ですので、それぞれの趣味と予算の範囲で、最勝の御安置を心がけていれば、ちゃんと戒壇は成立します。
結論を述べると、冒頭のケースで日蓮神社を参拝するのは、おそらく謗法に当たる可能性が高いと考えられます。
なぜなら、仏法に従って正しく御安置された御本尊ではなく「神道の教義に従って」勝手に安置されているからです。
神道のルールに従っている以上、それは他の神社の神体と変わりません。
御本尊そのものが真正であろうと、「戒壇の立て方」が法に背いているため、かえって大聖人を貶めており、参拝すればむしろ罰を受けるのです。
祈りは御安置から始まっています。そこにはいささかの妥協も濁りも許されません。
もちろん、神主が大聖人に帰依し、正しい指導を受けた上で御安置するなら話は別です。学会自身も、富士門流寺院から正式な認可を得て御本尊を授与しています。
広宣流布の暁には、学会指導のもと、全国の寺社に御本尊が御安置されることになります。
もちろん片っ端から寺社を破壊することなどありえません。それではどこかのテロ組織です(笑)
仏像も、貴重な美術遺産として手厚く保護されていきます。蓮祖は終生釈迦像を大切に保管されていました。
ともあれ、こうした議論が必要になるくらい、広宣流布が進展することを祈るばかりです。