1978年に結成された新新宗教団体の阿含宗では、仏舎利、つまり釈迦の遺骨とされるものを本尊としています。
…いろいろツッコみたいのはやまやまですが(笑)ここではひとまず、本物の釈迦の遺骨だとしましょう。
そもそも、骨に成仏の因があるわけではありません。遺骨は丁重に埋葬すべきものであり、本尊として奉るものではないはずです。
人骨を有難がって拝む感性が、人間としてまず異常です。
骨が有難いというのなら、仮に釈迦の「ミイラ」や「はくせい」が現存していた場合、その方がもっと本尊にふさわしいという話になってしまいます。これは即身仏にも通じるおぞましい考え方です。
彼らは阿含経を依経としているそうですが、阿含経のどこに「私が死んだら骨を本尊としなさい」などと説かれているのでしょう?
阿含経に限らず、一代聖教のどこにもそんな教えはありません。
このことから、仏舎利信仰のルーツは、古代アジア土着の黒魔術であると考えられます。
いわゆる原始仏教は初期から外道の呪法に汚染されて密教化しており、古いから純粋な仏教などとはいえません。阿含宗のイメージである盛大な護摩も、ルーツはバラモン教の儀式です。
それどころか、文化も法律も異なる古代の宗教をそのまま現代で実行すれば、トラブルが生じることは避けられません。それがオウム事件です。
オウムは阿含宗の分派です。麻原はもとより、多くの幹部たちや初期信者の多くは、阿含宗の元信者です。
阿含宗による「原始仏教ブーム」が、オウム事件に直結していることを忘れてはなりません。
阿含宗を設立した桐山は詐欺等で何度も逮捕され、実刑判決を受けて服役している筋金入りのペテン師です。
よりによって「前科者」が教祖の教団に入信するなど、まともな人間の行動ではありません。
仮に阿含経を学ぶにしても、決して阿含宗に入信する必要などないのです。