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21世紀の日蓮仏法

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池田先生「いじめは絶対悪」

希望対話より



「いじめは昔もあった。たいしたことない」とか「こんな時代だから、少しくらい仕方がない」などという声もある。とんでもない!

誰が何と言おうと、いじめは「絶対に」悪です!



完全な人間なんかいない。欠点だらけです。だからといって、その人をいじめていいことになりますか?

いじめている側の方が、よっぽど不完全で、卑怯ではないか。

だから、いじめられている人は、決して、自分を恥ずかしいと思ってはいけない。恥ずかしがらないといけないのは、いじめている側です。



勉強ができても、できなくても、いじめられる。

太っていても、やせていても、いじめられる。

暗いからといっていじめられ、反対に目立つからといっていじめられ、じゃあ、どうしたらいいのか?

だから、いじめられる側の責任じゃないのです。100%、いじめる人間が悪い!



たとえ、相手が悪くても、いじめてはいけないのです。

相手がウソをついたら、ナイフで傷つけてもいいのか?  そんなことはない。

それと同じです。

どんな理由も、理由にならない。



いじめている人間が、強い人間なのか? そうじゃないでしょう。

人間として、一番弱い、一番醜い心ではないですか。

そういう暴力人間を強いように勘違いしているところに、いじめの根源がある。

いじめられている人は、自分が悪いんだなどと思ってはいけない。

「自分は、一生、人をいじめるような人間にはならない」と決意することだ。



もちろん、状況は千差万別だから、こうすれば絶対解決するというマニュアルはないともいえる。

ただ、どんな場合にも言えることは「1人で悩まない方がいい」ということです。

誰にでもいいから、いじめの事実を伝えることだ。

いじめている側は、それを多くの人に知られることが一番嫌なんです。

人権侵害には、反撃することが正しいのです。



2人で1人をいじめたら、やっているほうは2人だから、何となく責任も2分の1くらいに感じるかもしれないが、やられているほうは2倍の苦しみだということです。

感じる差は4倍です。

5人で1人をいじめたら、どうなる?

20人のクラスメートに無視されたら?

いじめる側が軽くしたつもりのことも、被害者には何十倍、何百倍の圧迫になって襲い掛かるということです。



君でなければできない使命が、必ずある。

そうでなければ、今ここに君が生まれてきてはいないはずだから。

宇宙には、何ひとつ無駄なものはないのだから!



悪に対して「自分には関係ない」と思う。

見て見ぬふりをする。

それが実は「悪を応援する」ことになる。



牧口先生は、いつも先頭に立って、悪と戦った。

だから、いつもいじめられていた。

当時の教育界からも、信仰心をなくした僧侶からも、国家権力からも。

悪からいじめられ通した人生です。



最低限言えるのは、絶対に自分はいじめに加わらないこと。そして御本尊に、いじめられている子のことを真剣に祈ってあげること。

できれば、何らかの方法で、その子に自分の心配している気持ちを伝えること。



みんながいじめられている人に、手を差し伸べたとする。

だからといって、感謝されるとは限らない。

いじめられてきた人は、心が傷ついているから、人間を、なかなか信じられない場合が多い。

反発にあっても、怒ってはいけない。分かってあげなければいけない。

腹が立つのは、助けてあげているんだという心の驕りがあるからです。



いい人ほど、いじめられている場合が多いんじゃないだろうか。

だから、弱い者いじめではない。「いい人いじめ」です。



誰が自分から、暗い性格になりますか!

そうなってしまったとしたら、誰かが、そうさせたのです。

あなたが悪いんじゃないんだよ!



心の優しい人がいじめられる世界の方が、さかさまになっているのです。

さかさまになった世界では、いじめられているあなたの方が、正しいのです。



心から血を流している人に対して、傷の手当てもしないで、がんばれというのは間違いです。

その人を苦しめている原因を、いっしょに取り除いてあげなければいけない。



人をいじめておいて「あの人が、こうだから、ああだから、だから、いじめた。いじめられる方が悪い」そんな理屈は成り立たない。

「あの家は、戸締りが悪かったから盗まれた。盗まれる方が悪い」

「あの人は、人がいいから、だまされた。だまされるほうが悪い」

そんな理屈は、泥棒が喜ぶだけです! 泥棒の味方の論理です。



君が自分で自分を、だめだと思っても、私はそうは思わない。

あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない。

私の世界の友達も、みんな、いじめられてきた人ばっかりです。

全員がそうだよ!  ひとり残らず、そうだよ!

偉い人は、みんな、いじめられてきた。人をいじめて、偉くなった人はいません。



君が、あなたが、勝つことは、自分のためだけじゃない。正義のためです。

君だけの戦いじゃない。君だけの苦しみじゃない。






創価学園では、いじめの加害者は退学が原則です。

日本人は、安易に「いじめられたほうにも原因がある」と考え、事を穏便に済ませようとしますが、これは悪を擁護する考えであり、完全な与同罪です。

いじめられたほうが転校するのも、本来はおかしな話で、いじめた側が転校すべきです。

集団いじめならば、参加した全員を出席停止にしなくてはいけません。

そんなことをしたら、保護者から苦情が殺到し、大問題になるでしょう。

1人がいじめられるのは、本来そのくらい重大なことなのです。

いじめが絶対悪であることを教えるのが、教育なのです。




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