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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

折伏に教学は不要?







創価学会指導集1 226頁より

理論は実践でないという考え方は誤りである。

理論を構築し、理論を鮮明にすることも、大事な実践である。

浅く狭い考えではもろくなってしまう。






よく「折伏に教学は必要ない」などといわれますが、これはもちろん、教学が要らない「場合もある」というだけの話であって、全ての折伏に教学が要らないわけではありません。

むしろ、教学が必要なケースの方が、ずっと多いでしょう。



開目抄には

「習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」

とあります。

儒外内とは儒教・外道・内道のことです。

儒教は世間一般の道徳、外道は仏教以外の宗教、内道は仏教を指します。

すなわち「この世のあらゆる思想哲学に精通せよ」との、御本仏の御命令なのです。

仏法はもちろん、邪宗の教義にも精通し、その矛盾点を明らかにできてこそ、折伏は進みます。

他宗を研究しないことは謗法です。



今の学会員の弱点は、ここにあります。

かつての学会では「折伏教典」において、あらゆる宗派の弱点が研究され、破折に活用されていました。まさに「学会」の名に恥じない頭脳集団だったのです。

しかし今は、活動家といっても、会合と選挙しかやったことのない人材ばかりです。

他宗を研究していないから、いざ対決しても破折ができません。

そんな人材が幹部に上がってしまうから、ますます折伏力が衰え、会合と選挙に逃げる。。。という悪循環に陥っています。

本当は教学試験でも「靖国神社を破折せよ」などといった設問が必要でしょう。



一切は、御書を軽んじるところから、間違いが始まっています。

大聖人の教えを純粋に守ることが、日蓮一門としての義務なのです。



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