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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

師弟を忘れた団結は「派閥」に過ぎない

池田大作全集71 73頁より

中心者の狂いは、その人についている多くの人々をも迷わせてしまう。

たとえ、本人に罪はなくとも、信心の濁った中心者につけば、その人たちの信心も濁流に染まっていってしまう。

ゆえに、日昭、日朗ら五老僧についた信徒には、信心の厳しき目から見れば、功徳はない。






新・人間革命「緑野」より

自分が中心者になったからといって、偉くなったようなつもりになり、舞い上がって、傲慢になるようなことがあっては絶対にならない。

礼儀を欠いたなれなれしい態度や言葉遣いは、厳に慎まなくてはならない。

自分が愚かで軽率であることを、公言しているようなものです。

そんなリーダーでは、誰も、本気になって応援などしてくれません。






新・人間革命「陽光」より

中心者が、本部のスタッフに信頼、尊敬されていなければ、やがて組織は崩壊します。





新・人間革命「本陣」より

自分の区のことだけを考えるのではなく、いかなる活動でも、全東京の、日本の勝利の責任を持つのだと決めて下さい。

ある地域が苦戦していると聞いたら、すぐに駆け付けよう、応援しようというのが、異体同心の学会精神です。

学会本部からは遠いかもしれない。しかし、心は私と一緒です。本部直結の信心に立ってください。






学会員に限らず、日本人は一致団結が大好きです笑

仏法においても、和合僧を乱すことは五逆罪の中でも最大の重罪とされます。

ここで肝心なのは、和合僧とは、ただの仲良しグループではなく、「法を中心とした」団結であるということです。

具体的には、法を体現する「師匠」を軸とした団結です。



これは、歴代会長や各組織の中心者が軸であることを意味しません。

「人間革命」の中で、戸田先生は理事長を辞任したときにも、山本伸一青年に対し「君の師匠は新理事長ではなく、僕だ」と宣言しています。

このシーンは仏法上、極めて重要です。

中心者が誰に替わろうと、和合僧の軸は、常に師匠です。

ゆえに、師弟を分断しようとした正信会や日顕らの謀略は、破和合僧の中でも最も重い罪なのです。



これは、中心者が師匠という軸を忘れてしまったら、あるいは自らを師匠と勘違いすれば、その団結は、かえって破和合僧の働きを持つ「派閥」と化してしまうことを意味しています。

理論的には、学会本部が派閥になることすらあり得るのです。

全国どの組織にも、先輩方から受け継がれてきた伝統や活動のやり方があるでしょう。

もちろんそれを否定する必要はありませんが、ただ前例を踏襲するだけで、師の指導と照らし合わせることを怠れば、もはや和合僧ではありません。

まして、異論を認めず、打ち出しの実行を強制するならば、中心者による「独裁」であり「全体主義」です。



学会の組織には様々な問題があると言われますが、根本的な原因は、地元中心者が師匠を軽んじているからです。

師匠の指導より、幹部や先輩の指導を優先してしまっているのです。

師匠より地元の中心者を身近に感じているとしたら、本部より地元の所属組織を身近に感じているとしたら、創価学会より男子部を身近に感じているとしたら、あなたはすでに成仏の軌道から外れています。

それは学会活動ではなく、もはや「派閥活動」です。

あなたの師匠は池田先生なのだから、先生の指導に反することがあれば、「たとえ会長が相手であっても」堂々と間違いを正すべきです。

それが、師匠を軸とした、和合僧の正しい姿です。

信心とは、幹部に褒められることではありません。師匠ただ1人に褒めていただければ、それだけで十分なのです。






一、衆議爲りと雖も、佛法に相違有らば貫首之を摧くべき事。

日興遺誡置文


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