戸田先生が会長に就任された当時、学会はまだ実質3000所帯ほどの小さな仏教団体でした。
しかし、若き日の池田先生が次々と折伏戦の新記録を打ち立てられ、26歳の時には青年室長として、折伏の実質的な総司令官となります。
池田青年の存在こそが、75万世帯達成の原動力だったのです。
戸田先生の没後は30歳で総務、32歳で会長に就任されました。
750万世帯を達成したのは、会長就任からわずか10年後です。
これは、現在の世帯数とそれほど変わらず、比例区での公明党得票数とほぼ同じです。
つまり、
池田先生の青年時代に、学会は最も発展し、現在までの基盤はほぼ築かれていたのです。
その電光石火の闘いは、アレキサンダー大王や皇帝ナポレオンに勝るとも劣らないものだと言えるでしょう。
先生は身を持って、広宣流布の大闘争が青年の使命であることを実証されました。
次は、われわれの番です!