日蓮仏法の正義を証明する事実のひとつとして、日蓮が諸宗の高僧に正々堂々と法論を挑み、 高僧らが逃げ回ったことが挙げられます。
文永5年、日蓮は執権の北条時宗や極楽寺良寛らに11通の諫状を次々に送り、公の場で自分と法論を行なうことを求めました。
これは、日蓮が、日本中のどんな高僧と法論しようとも、必ず勝つ自信があったことを示しています。
もうろん高僧らは、日蓮に勝てる自信など微塵もありません。内心では法華経の正しさを理解していますが、それを認めれば今の地位を失ってしまいます。
だからこそ、讒言によって日蓮を陥れ、人脈で幕府を動かして法華宗に大弾圧を加えたのです。
日蓮が佐渡に流されただけでなく、当時の法華宗約260名がブラックリストに載せられ、危険人物として監視されました。
そのため、法華宗は一時壊滅状態に陥ります。
その中で健気に信心を貫いたのが、四条金吾であり、日妙聖人なのです。