生死一大事血脈抄より
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」
「久遠実成の釈尊」は御本仏大聖人、「皆成仏道の法華経」は三大秘宝を意味しています。
すなわち
「私自身が日蓮である」
「私自身が南無妙法蓮華経如来である」
その自覚に立って祈ることが、生死一大事の血脈なのです。
日蓮の自覚とは
「私1人でも必ず広宣流布を成し遂げ、一切衆生を救うのだ」
という誓願です。
したがって信心が深まると、あたかも自らが大聖人の再誕であるかのような気がして、無限の勇気が湧いてきますが、それでいいのです。それが本当の生命力なのです。
また、そう感じられなければ、大聖人と生命が一致しているとは言えません。
末法において三大秘宝を保つ行者は、誰もが大聖人の再誕です。
その自覚に立って祈ることが、生死一大事の血脈なのです。
受け身で打ち出しを消化するだけの信心に功徳がないのは、この自覚に欠けているからです。
日蓮大聖人と自分とを別々に考えています。それでは、自ら血脈を絶っています。
お題目を唱える自分を卑下することは、お題目を卑しめることです。かえって謗法です。
謙虚なようでいて、魔に敗れています。
「凡夫の題目で、そう簡単に大聖人の生命と一致するはずがない」
という迷いは、お題目の力を軽視する思想であり、
この上ない大謗法です。
もちろん、あなた個人が凄いのではなく、お題目が凄いのです笑
師が唱える題目も、あなたの題目も、全く同じです。
であれば、あなたにも師と同様の仏力が備わるのは当然です。
南無妙法蓮華経を信じ唱えているあなたは、間違いなく、日蓮大聖人の再誕です。
一閻浮提広宣流布は、他の誰でもなく、あなたの責任であり、使命なのです。