地獄の衆生を救うには、まず自らが地獄界に生まれなくてはなりません。
仏法では、菩薩は罪深い衆生を救うため、自ら重い宿業を背負って生まれてくるとしています。
これを「願兼於業」といいます。
代表例としては、ベートーベンの生涯が挙げられます。
音楽家にとって、聴力を失うほどの地獄はないでしょう。
しかし彼は、その絶望の中で、史上最高最大の大曲「第九」を完成させたのです。
「第九」は単に、聴覚障碍者が創った曲の中で優れているとされているわけではありません。
モーツァルトやバッハなど、健常な天才たちの創った幾多の名曲に比しても、なお勝るとも劣らないとされているのです。
要するに、史上最高の名曲を創ったのは、耳の聴こえない人間だったわけです。
これはおよそ、宇宙で最もありえない出来事と言えます。
まさに奇跡です。
ベートーベンは、人間に秘められた無限の偉大さを証明するために、あえて重いハンディを背負って生まれてきたのです。
ハンディが大きければ大きいほど、人間は偉大足りうる。
それが、仏法の人間観です。