大聖人の最晩年に、在家信徒の中心者として活躍したのが、富士の若き地頭・南条時光でした。
時光はわずか15歳で地頭職に就き、また28歳の日興上人と初対面しています。
この若き僧俗青年タッグが、実質的に広布の最前線で指揮を執っていくのです。
熱原の法難では法華信徒をかくまうなど尽力し、大聖人から「上野賢人」の称号を賜っています。
大聖人ご入滅までの10年足らずの間に、30通を超える御書を賜っていて、これは全信徒中最多です。大聖人が、いかに時光青年を頼られていたかが分かります。
日興上人が身延を離山されると、大石が原を寄進され、大坊を建立しました。これが大石寺の始まりです。このとき時光は31歳です。
大石寺はその後、日顕によって魔山と化すまでの700年の間、大聖人の教えを清浄に護持してきたのです。
歴史に残る法戦を、青年時代に完遂していることこそ、時光の偉大さです。
我ら21世紀の青年部も、時光のように師匠に頼られる弟子でありたいものです。