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21世紀の日蓮仏法

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祈りが叶わない4つの理由







本来、お題目の功徳は、一生かけても讃嘆しきれないほど素晴らしいものです。

それなのに、どんなにお題目を挙げても祈りが叶わないのは、まず第一に「あまり信じていない」からです。

お題目の妙力を半分しか信じていないのであれば、やはり祈っても半分しか叶わないのです。

このお題目に不可能はありません。そう信じて祈ることです。



第二に「叶うと不幸になる祈り」は、自然に叶わなくなります。

例えば「死んだ家族を蘇らせてほしい」と祈ったとします。もしそれが叶ったら、ゾンビになってしまいます笑

こうした場合は、蘇るのではなく、すぐに健康な身体で生まれてきます。

凡夫にはそれがよくわからないので、祈りが叶わないと誤解するのです。



第三に、祈りによって叶うまでの時間が異なることを忘れているからです。

大功徳ほど、目に見えて顕れるまでに時間がかかります。

祈るのは種を植えることです。種は育てば必ず芽を出し、いつか必ず大木に育ちます。

つまり、祈った瞬間に叶うと決定しています。一瞬です。ただ、形として顕れるまでしばらく時間がかかるのです。

それを、すぐ大木にならないからといって退転してしまうのは、せっかく植えた種を掘り起こしてしまうようなもので、まったくもったいないことです。



第四に「御本仏への報恩感謝を忘れている」からです。

三大秘法と言っても、天から降ってきたわけではありません。

人本尊あっての法本尊です。

三大秘法を残してくださった、御本仏大聖人への感謝こそ、一切の信心の源です。

これを忘れれば、どんなにお題目を挙げても功徳はありません。

まして、祈りが叶っても感謝せず、叶って当たり前だという根性では、功徳が消えて当たり前です。

ひとつでも祈りが叶うのは、当たり前のことではなく、有難いことなのです。

釈尊にさえ見捨てられたわれら末法の衆生を、日蓮大聖人だけは見捨てなかったのです。

この大恩を忘れず、自行化他の信心に励むことが、御本仏への恩返しなのです。



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