新・人間革命「鳳雛」より
折伏を高等部の活動として打ち出す必要は、全くありません。
高等部の場合、どれだけ学業に力を注いだか、ということが勝負です。
高等部といえば、もう大人です。昔なら、元服を終えている。
したがって、担当者としては、どこまでも対等な人格として、若き同志として接していくことです。
池田先生は未来部について、折伏をさせる必要は無いと常に言われています。
もちろん本人がやることは自由ですが、学生にとっては「勉学が法華経」ですので、まず一人前の社会人になることが優先です。
また、決して高等部を子ども扱いすることがあってはいけません。
南条時光は15歳で地頭となり、早くも在家信徒の中心者として活躍していました。
高等部員こそ、21世紀の南条時光なのです。