青春対話より
人格的に立派な人は、たくさんいます。
信心しているとかいないとかで差別するのは誤りです。
謙虚に、学ぶべき点は学びながら、そういう立派な人と友情を結んでいくべきです。
友人をたくさん作り、友情を固めることです。
折伏といい、広宣流布といっても、「友の幸福を願う」という友情の気持ちを広げたものなのです。
この末法に生まれてきた以上、入会していようといまいと、誰もが地涌の菩薩です。
たとえ今世で法華経を信じなくても、いつか信じる時が必ず来ます。
地涌の菩薩が学会員だけなら、折伏しても無駄ということになってしまいます。
今、信心しているかどうかなど、小さな話です。
信心していないからといって、その人を軽んじたり差別したりするのは、日蓮仏法とは何の関係もないカルトです。
誰もが地涌の菩薩だと信じ、友情を結んでいきましょう。
だから境涯が開かれるのです。それこそが真の折伏なのです。