よく、会合に参加しないと「退転」と見なす風潮がありますが、信心とはそんな表面的なものではありません。
南無妙法蓮華経とは「法華経に命を帰す(捧げる)」という意味です。
もちろん、この場合の法華経は「文底の法華経」であり、五字七字の題目を指しています。
つまり、唱題の功徳を心から信じ、命を捧げることが信心であり、
そこから生命が離れてしまえば、その時点で退転なのです。
どれだけ役職が高くても、毎日活動していても、口で唱題しても、同様です。
これは、周りからだけでなく、本人でさえ容易に気づかないので、極めて厄介です。
いつの間にか、形式が信心だと思い込むようになってしまいます。
さらに厄介なことには、退転した幹部は、そのまま第六天魔王として働いてしまうことです。
これまで、さんざん組織利用して反逆した最高幹部は数え切れません。
たとえば、
「幹部にならなければ一生成仏できない」「会合に出なければ退転だ」
などという意識は、代表的な組織内の魔です。
肝心のお題目より、組織活動が信心の中心になってしまっています。
それはもはや日蓮仏法ではありません。
今、あなたがなかなか活動できない状況であっても、決してお題目を忘れないことです。
SGIには、組織が結成できなくても、個人で信心を貫いている同志が大勢います。
信心さえ忘れなければ、必ず使命を果たせるでしょう。