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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅 カルト撲滅

退転とは「お題目から生命が離れること」





よく、会合に参加しないと「退転」と見なす風潮がありますが、信心とはそんな表面的なものではありません。

南無妙法蓮華経とは「法華経に命を帰す(捧げる)」という意味です。



もちろん、この場合の法華経は「文底の法華経」であり、五字七字の題目を指しています。

つまり、唱題の功徳を心から信じ、命を捧げることが信心であり、

そこから生命が離れてしまえば、その時点で退転なのです。

どれだけ役職が高くても、毎日活動していても、口で唱題しても、同様です。



これは、周りからだけでなく、本人でさえ容易に気づかないので、極めて厄介です。

いつの間にか、形式が信心だと思い込むようになってしまいます。

さらに厄介なことには、退転した幹部は、そのまま第六天魔王として働いてしまうことです。

これまで、さんざん組織利用して反逆した最高幹部は数え切れません。



たとえば、

「幹部にならなければ一生成仏できない」「会合に出なければ退転だ」

などという意識は、代表的な組織内の魔です。

肝心のお題目より、組織活動が信心の中心になってしまっています。

それはもはや日蓮仏法ではありません。



今、あなたがなかなか活動できない状況であっても、決してお題目を忘れないことです。

SGIには、組織が結成できなくても、個人で信心を貫いている同志が大勢います。

信心さえ忘れなければ、必ず使命を果たせるでしょう。

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