大聖人は、弟子の大尼が御本尊の授与を願い出たさいに、法難で一度退転してしまった彼女に御本尊を授与することはできないと断られています。
これは、何も無慈悲ということではありません。
御本尊を粗末にしたら大変に罰が大きいので、信心強情な弟子のみを選んで、御本尊を授与されていたと考えられます。
大尼は蓮祖の学費を出してくれた少年期からの大恩人でもありますが、それでも特別扱いはされませんでした。
蓮祖が認めていた御在世当時の信徒数は、最盛期でも1000人に満たなかったといわれています。
決して、成果主義で無理に押し込んで折伏し、御本尊を押し付けるようなことはなかったのです。
当然ながら、御本尊は大聖人の魂がこもった御真筆だと思って拝受し、お題目を挙げるべきです。
いったん拝受した以上は、生涯守り抜くという決意が不可欠です。
その気持ちが固まらないうちは、本尊流布には早いということです。