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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

日蓮は天皇を国主として扱っていない

顕正会では、「国主とは天皇のことである」として、天皇の勅宣によって国立戒壇を建てることを一大目標としています。

しかし、彼らが教祖と仰いでいる日蓮が、天皇を国主として扱ったことはありません。

日蓮が真っ先に立正安国論を提出したのは、天皇でも、将軍でも、執権でもなく、時の前執権である北条時頼でした。

なぜなら、時頼こそが鎌倉幕府の実権を握っていたからです。

後に日蓮が行った国家諌暁も、執権に次ぐ幕府のナンバー2である平頼綱を対象としており、朝廷や天皇は相手にしていません。

すなわち、日蓮にとっての国主とは「実際に権力を握っている人物」であり、名目上のトップではないのです。

まして、現在の憲法では天皇は象徴に過ぎず、何の実権もありません。自分の引退時期を決める自由すら与えられていないのです。天皇が国主に当たらないことは明白です。



確かに三大秘法抄(日蓮の遺文)には「勅宣並びに御教書を申し下して」戒壇を建立すべしとありますが、当時の朝廷には、すでに独自の意志で勅宣を出せる権限はありません。

したがって、幕府のトップさえ法華経に帰依させればそれで充分でした。

幕府から「勅宣を出せ」という要請があれば、天皇にそれを拒む力は無かったからです。

つまり、天皇が国主でなくとも戒壇建立は可能であり、だからこそ日蓮は天皇を相手にしなかったのです。



今の天皇なら、なおさらです。

そこで顕正会では、憲法を変えて天皇に権力を与え、勅宣を出させることを主張しています。

それを、世間では「右翼」と呼ぶのですが失笑

ともかく、バリバリの改憲勢力であることは間違いありません。



日蓮にとっては、国主が天皇でなくてもかまわないのです。

第一、仏法上どうしても天皇が国主でなくてはならないのであれば、日蓮自身が幕府に対して「朝廷に権力を返還せよ」と迫っているはずです。

もちろん、そんな痕跡は微塵も存在しません。

三大秘法抄の指南はあくまで世界悉檀であり、時代によって解釈を変えていかなければならないものです。

主権在民で信教の自由が保障されている今日においては、戒壇を建立する上で天皇の許可を得る必要など、完全に存在しないと言っていいでしょう。

それを無視して、時代錯誤の「天皇国主論」に固執しているところに、顕正会の最大の誤りがあるのです。






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