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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

稚児貫主は「青年リーダー」だった

大石寺の歴史には、中興の祖・日有上人から数代にわたって、稚児貫主の時代が続いています。

これは、大石寺の人材難の証拠だとするのが通例でした。

しかしそれならば、散発的に「つなぎ」の稚児貫主が出ることはあっても、短期で大人の後継者に相承していなければおかしい。

何代にもわたって、つなぎのために稚児貫主が続いたとすると、大石寺には長期間小僧しかいなかったことになってしまいます。

実際に当時の歴史を検証してみます。



9世・日有は16歳(数えで17歳)にして貫主となり、65歳ごろに10世・日乗に相承しています。

有師の評価を考えても、明らかにつなぎではありません。

むしろ、小僧時代から宗門随一の英才であり、将来を嘱望されて早々に相を受けたと考えるのが自然です。

しかし、10世・日乗と11世・日底が相次いで亡くなり、「老々相」の限界を感じた有師は、自らの場合と同様、若く有望な小僧に未来を託す決断を下したと考えられます。



12世・日鎮は、12歳にして有師より相を受けています。その後、58歳で亡くなるまで貫主を全うしており、明らかにつなぎではありません。

13世・日院は、なんと8歳で貫主となっています。さすがにつなぎかと思いきや、後継の14世・日主とは37歳の開きがあり、それなりに長期間貫主の座にあったようです。いわゆる神童だったのかもしれません。

日主もまた、17歳の時点で貫主の座にあったことが分かっており、41歳で15世・日昌(要法寺系)に相しています。

このようにいわゆる稚児貫主は、それぞれが数十年に渡って法主の座にあり、人材難によるつなぎ説は誤りだったことが分かります。



少なくとも当時の大石寺では、意識的に小僧の中から貫主を選んでいました。

これはまず、老々相では貫主が短期間に交代してしまい、かえって宗内を混乱させてしまうことが挙げられるでしょう。

さらに、今でいう「世代交代」を重視した人事ということもできます。

封建時代は元服すれば1人前でしたから、10代で要職を継いでも不自然ではなかったこともあるでしょう。

もとより法主も凡夫ですから、若輩ならではの未熟な面は当然あったでしょう。それをフォローできるだけの人材・体制が整っていたということです。

何より、「青年リーダーを中心とした団結」は、日蓮仏法における永遠の和合僧の模範でもあります。

日興遺誡置文では



一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し擱き、御鈔以下の諸聖教を教學すべき事。

一、身輕法重の行者に於ては下劣の法師爲りと雖も、當如敬佛の道理に任せて信敬を致すべき事。

一、弘通の法師に於ては下輩爲りと雖も、老僧の思ひを爲すべき事。

一、下劣の者爲りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とすべき事。


このように早期英才教育が奨励され、年功序列は徹底的に破折されています。

したがって稚児貫主の存在は、人材難ではなく、むしろ宗開両祖の教えが忠実に守られ、小僧の育成が理想的に充実していた証ではないでしょうか。






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