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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

なぜ戦国最強の武田家は滅びたのか






武田信玄は宗派を問わず仏寺を保護しましたが、富士門流に対しては弾圧を繰り返しました。

永禄12年2月7日に興師が拠点とされた重須の堂を焼き、6月には大石寺を焼いて僧侶らを責めました。

翌年には大石寺の境内に陣を構えて駿河を攻めましたが、途中で暴風大波に襲われ、軍勢も流されてしまいます。信玄は近臣と命からがら甲府へ逃げ帰りました。

後継の勝頼も、北山・西山両本門寺の争いに介入し、二箇相乗の御真筆を紛失しています。

親子二代に渡る謗法が祟り、戦国最強と言われた武田家は、織田信長存命中にあっけなく滅亡してしまいました。

信玄は戦国随一の智将だったかもしれませんが、所詮は「人智」です。

仏智は「宇宙意思そのもの」であり、それに逆らう者は誰人たりとも滅亡を免れないのです。


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